舟岡城 (ふなおかじょう) (船岡城・剣城・八幡城) (市の史跡)
最寄地 石川県白山市八幡町戌142 2017.6.25
舟岡城 (ふなおかじょう) (船岡城・剣城・八幡城) (市の史跡)
最寄地 石川県白山市八幡町戌142 2017.6.25
案内図
三の丸・道標
馬出門・土橋
馬出
二の丸北の土橋・空堀
二の丸櫓台石垣
本丸虎口土塁
本丸北の空堀
本丸・白山比咩神社旧地
舟岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 手取川右岸の標高178.9mの舟岡山にあり、東西約150m南北約300mに及ぶ広大な城で4つの曲輪、馬出から構成され、深い空堀で区画されている。南南東約8kmに鳥越城がある。
案内板、標識など各所に設置され、保存活動がなされていたようだが、訪れた時は、空堀は草木が密生し、石垣など歯朶類に埋もれ放置された状態であった。三、四の丸は鬱蒼として杉林と化している。
【案内】 県道103号線より西に少し行った「県立白山青年の家」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード41 076 669*32]。
建物南側に登り口があり、案内図が建てられている(地図)。
登ると、間もなく四の丸があり東側に三の丸があるが鬱蒼としており見分けはつかない。
南に二の丸の空堀、土橋があり櫓台に石垣が残っている。二の丸の南に本丸の空堀、土橋がある。虎口や土塁が残っており「白山比咩神社創祀之地」の石碑と由来碑が建てられている。
二の丸の東に一段下がって、馬出があり、馬出門の土橋が残り、左右に空堀がある。馬出からは高さ4、5mの二の丸、本丸の切岸が見える。
現在、白山比咩(しらやまひめ)神社(白山市三宮町ニ105−1)は南側約400mにある。
白山市の史跡に指定されている。
【歴史】 築城年代は定かではない。 織田信長の加賀一向一揆討伐に際し、鳥越城への入口を押える為、修築されたといわれる。守将として坪坂平九郎・若林長門守が在城したとされる。
天正八年(1580年)織田軍の加賀平定作戦で、鳥越城と共に落城した。その後は丹羽長秀の家臣早谷五左衛門が城主となった。
天正十三年(1585年)前田利家の家臣・高畠石見守定吉が城主となった。慶長七年(1602年)定吉が死去すると、廃城になったと考えられる。