虚空蔵城 (こくぞうじょう) (和気山城)
最寄地 石川県能美市和気町イ−140 2018.6.16
虚空蔵城 (こくぞうじょう) (和気山城)
最寄地 石川県能美市和気町イ−140 2018.6.16
登城ルート
和気小学校北東の大手門の道
本丸・ 二の丸分岐標識
二の丸空堀
二の丸切岸
二の丸南端部
本丸空堀・土橋
空堀(横から)
本丸
説明板
虚空蔵城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 能美市和気町の標高137.7mの虚空蔵山に本丸があり、土塁や空堀が残っており説明板が建てられている。南100mに二の丸があり、空堀が残っている。
城域は「辰口里山公園」として整備され、登りやすい里山になっている。二の丸先端部からの眺望も良い。
大手門付近に長さ120mの石塁があるというが、道標がなく見つけられなかった。
【案内】 県道54号線より北に行った市立和気小学校(表記番地)体育館脇に駐車でき、登り口がある[マップコード41 006 369*15](地図)。
階段を登って体育館裏に大手道の道標が立てられている。大手道は石畳があり大手門跡を経て、二の丸と本丸の中間に続いている。
【歴史】 一向一揆が始まった文明六年(1474年)加賀国守護を兄弟で争った富樫幸千代(金剛寺幸松)は、虚空蔵城に立て籠もった。同年十月、兄の富樫政親と一向一揆に攻められ、落城した。
その後、加賀国は1世紀余り一向一揆の「百姓の持ちたる国」となった。
天正八年(1580年)織田信長の武将柴田勝家が、家臣の佐久間盛政に命じて虚空蔵城を攻め落とした。この時の城主は、一揆の大将荒川市助と中川庄左衛門と云われている。