顕法寺城 (けんぽうじじょう)
所在地 新潟県上越市吉川区顕法寺 2014.10.3
顕法寺城 (けんぽうじじょう)
所在地 新潟県上越市吉川区顕法寺 2014.10.3
登城ルート(緑線は車道)
北側の登り口
二番目の鉄塔
馬寄せ場
二の丸跡・段郭への階段
段郭・主郭切岸
本丸跡・祠
東側の堀切
林道側の登り口
顕法寺城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【案内・感想】 県道61号線の「三ケ字公民館」南より西450mのT字路に駐車して、西に行く[マップコード298 424 104*77](地図)。
400m程登ると六地蔵があり、送電線鉄塔の横を登る。鳥居の右の道をゆき、「鼻館跡」(頭部の無い仏座像がある)を左折、次の鉄塔を過ぎ行くと、大手道と搦め手道に分かれる。
大手道をゆくと「馬寄せ場」の曲輪がある。そこを過ぎ大手道を登ると二の丸跡があり「案内板」がある。
虎口の階段を登ると20m×10mの本丸跡で、祠が祀られ、説明看板が建てられている。標高182m比高約140mの山頂に空堀、堀切など遺構は良く残っている。
南の林道から木道階段[マップコード298 393 591*34](地図)を登って、二の丸跡に行くことが出来る( ここからは本丸跡迄比高40m)。
【歴史】 南北朝時代の南朝正平十年・北朝文和四年(1355年)上杉憲将・宇佐美一族(南朝方)は当城で挙兵し、風間長頼(北朝方)と戦い、敗れて六角峰、更に柿崎城に拠ったが、挽回成らず四散した。
戦国時代上杉家の春日山城の支城として、井崎次郎左衛門、丸田左京が在城した。丸田左京は後の上杉遺民一揆に活躍した。
慶長三年(1598年)上杉景勝の会津移封の後廃城となった。
西南方峰続きの高地に狼煙場跡、その向こうに町田城、北方峰続きに六角城跡がある。遠く西方に春日山城、東南方に直峰城、東北方に猿毛城、柿崎城、旗持山城がある。『本丸案内板』