保々西城 (ほぼにしじょう)
所在地 三重県四日市市西村町 2020.12.5
保々西城 (ほぼにしじょう)
所在地 三重県四日市市西村町 2020.12.5
登城ルート(緑線は車道)
南側用水路脇の案内板
橋・城跡碑・案内板
屋敷跡手前の城跡碑
屋敷跡・土塁
城跡碑・土橋・虎口
土橋左の空堀
主郭・北側土塁
井戸
東側の土橋
保々西城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 四日市市西村町の西から伸びた台地に築かれ、北側に屋敷跡、南側に空堀を巡らした主郭がある。
2ヶ所の土橋や土塁、空堀は深く見応えがある。通路は草が刈られ歩きやすいが、屋敷跡や主郭北の空堀は樹木で鬱蒼としている。
【案内】 県道621号線より朝明川を渡り、約550m北を左折500m程西に行った右が行き止まりでそこに駐車できる[マップコード38 815 084*44](地図)。南側にも案内板が建てられている(地図)。
50m南の用水路に橋があり、城跡碑や案内図が建てられ、尾根に上がって階段を下り、西へ歩いてゆくと屋敷跡前に城跡碑が建てられている。
さらに西へ行くと土橋があり、そこにも城跡碑が建てられ、両側に巨大な空堀が伸びている。
虎口の左右に土塁が残り、井戸が見られ、主郭の東に土橋があり、東の郭に続いている。
東方約1.7kmには市場城 (朝倉城)がある。
【歴史】 康正年間(1455~57年)朝倉氏により築城され、市場城より移った。
永禄十一年(1568年)織田信長の軍に攻められ落城した。