伊深城 (いぶかじょう) (市の史跡)
最寄地 長野県松本市大字岡田伊深553 2019.8.31
伊深城 (いぶかじょう) (市の史跡)
最寄地 長野県松本市大字岡田伊深553 2019.8.31
登城ルート(緑線は車道)
説明板
若宮八幡宮
帯郭
石積
2郭・主郭切岸
主郭
主郭土塁・石尊大権現
主郭背後の2重堀切(振り返る)
4条目の堀切
伊深城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高160m】
【感想】 松本平を南に望む、標高916mの伊深城山に築かれている。
2つの主要郭と帯郭から構成され、石積や堀切とそれに続く竪堀がよく残っている。
西側帯郭から主郭背後に回ると、2重堀切があり、小郭を経て北に、4条の堀切があり、都合6条の堀切となっている。
【案内】 国道254号線より北に行った表記番地手前に標識と説明板が建てられ、そこから真っ直ぐ登ってゆくと、水道施設の裏側に若宮八幡宮駐車場がある[マップコード158 117 715*88]。
本殿へ通じる車道横に説明板が建てられており、右手より給水タンク横を通って遊歩道が山頂まで通じている。
南東の2段の郭を経て堀切があり、帯郭、2郭、主郭と配置され、主郭には低い土塁があり明治に建てられた「石尊大権現」が祀られている。
主郭北の切岸は高く急で、西(左)の帯郭へ降り、北に行くと2重堀切がある。
その先は平坦な尾根になり、4条の堀切が残っている。
昭和四十二年(1967年)2月1日、松本市の特別史跡に指定された。
【歴史】 治承四年(1180年)岡田冠者源親義が築城したと伝えられるが、時期は定かでないが、実際は室町時代中期、伊深氏により築かれたといわれる。
伊深氏の後、若宮八幡宮を氏神としていた後庁(ごちょう)氏が城主であった。
天文十九年(1550年)松本平に侵攻した武田氏が小笠原氏を攻めた際、林大城、深志城、桐原城、山家城と共に自落したと云われる。
武田氏の家臣小宮山織部が城将となった。天正十年(1582年)武田氏滅亡後、徳川家康に属し、復帰した小笠原貞慶の持城となった。