東郷槙山城 (とうごうまきやまじょう) (槙山城)
最寄地 福井県福井市栃泉町30−26 2014.11.8
東郷槙山城 (とうごうまきやまじょう) (槙山城)
最寄地 福井県福井市栃泉町30−26 2014.11.8
登城ルート(緑線は車道)
千畳敷
土塁
堀切
段郭
天守閣跡・石碑
長谷川秀一公碑
東郷槙山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 赤坂公民館(表記番地)の北付近に獣除け柵のゲートがある。開け閉めて、600m程登ると二の丸に当たる駐車場に着く[マップコード63 318 853*44] 。
本丸に当たる北の城山に天守閣跡があり、「長谷川秀一公碑」、「忠魂碑」の石碑が建てられている。その下段に曲輪がある。
南に千畳敷曲輪があり芝生広場の公園として、滑り台等の遊具が設けられ、一角に句碑がある。土塁があり植栽が植えられ、堀切がよく残っている。
【歴史】 朝倉氏3代氏景の次男正景が、十五世紀前半、一条家の荘園であった東郷荘を与えられ東郷下総守と称し、槙山城を築いたとされる。
文明三年(1471年)の頃、朝倉氏が一乗谷に本拠を移してからは、その支城となった。尾根続きの御茸山までには4ヶ所の大規模な堀切があり、一乗谷と密接にむすばれていたことが知られている。
朝倉氏の滅亡後、柴田勝家の支配を経て、天正十二年(1584年)長谷川秀一が城主となり、東郷の地を治め、城を整備した。
秀一が朝鮮の役(文禄の役)で陣没した後、北庄城の丹羽長秀の次男・長昌が城主となり、15万石を領した。