岩村田城 (いわむらだじょう) (藤ヶ城)
所在地 長野県佐久市岩村田上ノ城2787 2020.7.12
岩村田城 (いわむらだじょう) (藤ヶ城)
所在地 長野県佐久市岩村田上ノ城2787 2020.7.12
岩村田小学校
火薬庫跡の公園
藤城神社・城址碑
西側の岩村田公園
案内板
招魂社
鵲稲荷神社
岩村田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 岩村田小学校一帯が城跡で、北側の最高所は岩村田公園となっている。
切岸状の崖に囲まれ城跡の雰囲気が漂うが、これといった遺構は見られない。
【案内】 岩村田小学校や北にある招魂社(表記番地)、鵲稲荷神社の建っている岩村田公園となっている。
東側の児童公園(火薬庫跡)に藩主内藤氏の先祖を祀る藤城神社と「岩村田城址」の碑が建てられている[マップコード85 358 699*37]。
【歴史】 元禄十六年(1703年)内藤正友が武州赤松より佐久小縣1万2千石を領し陣屋を構え、正友、正敬(まさゆき)、正弼(まさすけ)、正興、正国、正縄(まさつな)、正誠(まさのぶ)7代160年続いた。
正友の時、1万石分が摂津国・河内国内の地へ一時移封されたが、その次男である2代藩主・内藤正敬の代に再度佐久郡内の地へ移封された。また三男の内藤正直に千石が分知された。
6代正縄は老中・水野忠邦の実弟であった関係で、伏見奉行となってその功績により城主格に昇進された。
正誠の時、文久元年(1861年)に築城許可が降り、上ノ城に築城が開始され元治元年(1864年)十一月三日、岩村田城が竣工移転した。
明治二年(1869年)版籍奉還の際、招魂社が建てられ、明治四年(1871年)廃藩置県により廃藩となった。その後、火薬庫跡に内藤氏を祀った藤城神社が建てられた。
昭和四十七年(1972年)岩村田小学校が建設された。