千頭峯城 (せんとうがみねじょう) (県の史跡)
最寄地 静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶411 2016.3.20
千頭峯城 (せんとうがみねじょう) (県の史跡)
最寄地 静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶411 2016.3.20
登城ルート
千頭峯トンネル・説明板
井戸
東曲輪
本曲輪
本曲輪櫓台・慰霊碑・社
二曲輪
二曲輪西曲輪間の堀切
西曲輪・土塁
南曲輪・土塁
千頭峯城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 摩訶耶寺(表記番地)の前の道を北に800mほど行くと、道標が建てられ、オレンジロードを約600m行き、「千頭峯トンネル」を抜けた南に駐車場が用意されている[マップコード43 532 798*14](地図)。北70mに登リ口がある。
橋を渡って斜面を登り、トンネルの上尾根より西に進むと井戸曲輪の標識が建てられている。堀切を抜けて北に下ると井戸が残っている。
堀切に戻って、西に進むと東曲輪、二の曲輪(東)があり、最高所に本曲輪がある。
本曲輪の櫓台には「千頭峯城戦没者慰霊碑」の石碑が建てられ、祠に仏像が祀られている。
本曲輪の北西に二の曲輪(西)、堀切、西の曲輪と並び、西の曲輪には土塁が残っている。また、本曲輪より南に下ると、南の曲輪があり土塁がよく残っている。
昭和五十六年(1981年)3月16日、静岡県の史跡に指定された。
【歴史】 大福寺の古記録『瑠璃山年録残篇』によると、南北朝時代、宗良(むねなが)親王を奉じて奮戦した井伊氏の西方における南朝方最大の拠点であった。
守将は井伊氏一族の奥山朝藤(ともふじ)と云われ、南朝方の廷臣や浜名神戸庄の庄官県(あがた)氏、大江氏をはじめ勤皇の将士数百騎で籠城した。
北朝方の高師兼(こうのもろかね)は大軍を率いて三ヶ月間の攻撃を加え、暦応二年(1339年)十月三十日、落城した。『三ヶ日町教育委員会説明板』より。