幾保比城 (きほいじょう)
最寄地 石川県七尾市吉田町ア58−1 2018.6.15
幾保比城 (きほいじょう)
最寄地 石川県七尾市吉田町ア58−1 2018.6.15
登城ルート(緑線は車道)
赤蔵山南西からの林道(中間付近)
林道終点・降り口
降り口にある説明板
西尾根の堀切
西直前の堀切・虎口
西側横堀
主郭・土塁(西側)
北東の堀切1
幾保比城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 赤蔵山から南東に伸びた尾根先端部に築かれている。西側に土塁を設けた主郭の南に1mほど下がって曲輪がある。横堀や土塁はよく残り、虎口や堀切が残っている。
主郭は広く、マーキングもなく降り口を間違えるととんでもない方向に行くので注意する必要がある。
【案内】 (株)田鶴浜マシンウッド(表記番地)西を右折、北に470m行き左折すると、「赤蔵山憩いの森」という公園があり[マップコード135 765 609*15]、そこから林道を南西に約1.3km行くと赤蔵山南西T字路に着く[マップコード135 764 008*50](地図)。
そこを左折、尾根の細い未舗装道を南東へ600mほど行く。終点は転回できるが途中は狭い(地図: 無理なら徒歩が良い)。終点に簡単な説明板が転がっており、やや左側から山道があり、尾根を150m程下ると堀切がある。さらに堀切があり、虎口がある。
その上に横堀があり、土塁の付いた帯郭がある。その東に広い主郭があり西側に土塁が残っている。草木の多い主郭の北東に下ると2条の堀切がある。
【歴史】 伝承によれば仲哀天皇(192~200年)の頃、能登の湊を監視するために三室考原が築いたといわれる。
その後、南北朝時代、観応の擾乱(1349~52年)に足利尊氏方の武将長野家光が奮戦した居城として記録される。