寺部城 (てらべじょう) (寺部陣屋)
最寄地 愛知県豊田市寺部町1‐36 2014.12.12
寺部城 (てらべじょう) (寺部陣屋)
最寄地 愛知県豊田市寺部町1‐36 2014.12.12
櫓台上の城址碑
土蔵建物跡
井戸・公園
渡辺家墓所
遊佐家長屋門
寺部城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 守綱神社(表記番地)の北東に堀、寺部城跡があり「寺部城址の森」公園となっている[マップコード30 350 118*85]。駐車スペースは少なく、守綱神社前に駐車できる。
東側の櫓台上に「寺部城跡」の石碑が建てられ、公園内に渡辺氏時代の建物跡の礎石(母屋、書院、茶席、土蔵など)や井戸が三本残っている。また蹲踞(つくばい)が多数残っているが、十代当主規綱が茶人であった為と思われる。
西側に鈴木氏時代の土塁(巾5m高さ2m)があり、外側は堀となっている。北西には矢作川の支流市木川が流れている。
城跡は豊田市の指定史跡となっている。
3代渡辺治綱により建立された守綱寺(豊田市寺部町2丁目27)に渡辺家代々の墓がある。その西に慶長十五年より渡辺家に仕えた重臣・遊佐家の長屋門・土塀が保存され市の指定文化財となっている(地図)。
書院・又日亭(ゆうじつてい)は、豊田市内の七州城(挙母城)敷地内に移設復元されている。
【歴史】 寺部城は、文明年間に鈴木下野守重時によって築かれた。鈴木氏は寺部城を本拠にし、高橋荘東部を支配していた松平氏と対立した。
天文二年(1533年)に岩津城外で、鈴木重教は松平清康と戦い、永禄元年(1558年)には鈴木重辰が松平重吉・元信と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した。
城は、永禄九年(1566年)、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。
その後、慶長十五年(1610年)に尾張徳川家の家老・渡辺半蔵守綱が寺部に入封し、1万4千石を領した。
守綱は、寺部城址に陣屋を構えて、以後2代重綱、3代治綱、4代宣綱、5代定綱と続き、元禄十五年(1702年)5代渡辺半蔵定綱により陣屋内に守綱を祭神とした守綱神社、稲荷神社を勧請した。
その後、6代直綱、7代綱保、8代綱通、9代綱光、10代規綱、11代寧綱、12代綱倫と続き明治維新を迎えた。13代は綱聰である。 河内国伯太藩の大名渡辺家は分家にあたる。