飯田城 (いいだじょう)
所在地 静岡県周智郡森町飯田3052 2017.2.24
飯田城 (いいだじょう)
所在地 静岡県周智郡森町飯田3052 2017.2.24
説明板
登城ルート(緑線は車道)
崇信寺・説明板
北側搦手・谷堀と段郭
二の曲輪
本曲輪・土塁
本曲輪上段・土塁
二重堀切
櫓台・説明板・城址碑
城址碑
飯田城 新城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 周辺の道路は狭く、崇信寺に向かうのがベスト。崇信寺から南へ案内標識が建てられ、南の東西に走る堀道付近に本城の遺構が若干見られる。
新城は土塁堀切など遺構がよく残っている。二の曲輪より西へ大手道が伸びている。
【案内】 崇信寺(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード169 486 366*16](地図)。山門横に説明板が建てられ、飯田城本城とされている。
標識に従って本城の畑の中を南に200mほど行くと堀道があり、更に南へ行くと新城がある。東側に谷堀、腰郭、搦手虎口がある。
南に二の曲輪があり高い土塁が残っている。北に本曲輪が二段になっており、コの字形に土塁が残っている。北東に櫓台があり、案内図、説明版、「山内対馬守道美公飯田城址」の石碑が建てられている。北西に二重の堀切が残っている。
昭和五十三年(1978年)4月1日、森町の史跡に指定された。
【歴史】 山内氏は備後国を本拠とし、鎌倉時代の弘安四年(1281年)飯田庄上郷(天方)の地頭に任じられ、山内道茂を祖とし、山内道弘・通秀(天方氏)の頃に遠江に赴き天方本城を築いた。
その後、嘉暦二年(1327年)飯田庄下郷(当飯田地区)に於いて、山内孫太郎入道道光と山内刑部阿者梨道俊が居住していた。
飯田城の築城は応永年間初め(1400年頃)とされ、『掛川誌稿』に「山内対馬守法名道美(どうび)、初め天方城に居る、後、飯田城を築いて移り住し、天方は其の弟山城守に守らしむ。故に天方氏と称す」とある。
応永八年(1401年)山内対馬守道美が崇信寺を開き、菩提寺とした。
永禄十二年(1569年)六月、今川氏の被官であった山内大和守通泰は、徳川家康の遠江侵攻に伴い、榊原康正・大須賀康髙らに攻められ落城、討ち死にした。千人塚(新城南東方向)に葬られた。