大沢城 (おおさわじょう) (鉢巻山城・池之平城)
最寄地 新潟県魚沼市大沢73 2022.12.3
大沢城 (おおさわじょう) (鉢巻山城・池之平城)
最寄地 新潟県魚沼市大沢73 2022.12.3
登城ルート
南側遠景
林道入口
分岐点の標柱
主郭の湯之谷デジタルテレビ中継局
大澤城址の碑
北東帯郭
西側の段
大沢城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高120m】
【感想】 魚沼市大沢にある標高305.2mの城山に築かれている。主郭にはテレビ中継局があり、立派な城址碑が建てられている。
改変されているようだが、北から東にかけて帯郭があり、積雪で寝枝となった西側に2段ほどの郭が見られた。
【案内】 県道352号線より東養寺(表記番地)に向かい、東側の林道を300mほど行くと、車止めチエーンの手前に駐車場がある[マップコード417 826 301*68]。
そこより舗装林道を登り、途中から未舗装となるが城山のテレビ中継局に通じている。
【歴史】 築城年代は不明ながら、明応の頃(1490年代)北麓に月岡氏の居館があったといわれる。
その後上杉氏の被官・大澤右京亮が当城に拠り上杉憲房に従い、坂戸城主・長尾房長と戦い、永正十一年(1514年)正月十六日、父子ともに討ち死にした。
憲房は大澤氏の断絶を惜しみ、羽川の将・発知山城入道の孫亀寿に大澤氏の相続を命じた。
天文四年(1535年)上条の乱が起こり、城主大澤伊豆守は春日山城主長尾為景(謙信の父)に従い、長尾房長と戦った。正月十八日大澤において従士数十名と共に討ち死にした。
永禄三年(1560年)長尾景虎(謙信)の関東出陣の折、大澤内匠助に在国警備の労を謝したという。その後の大澤氏の動向は明らかでない。『由来碑文より』