小山城 (こやまじょう)
最寄地 山梨県笛吹市八代町北760 2014.1.3
小山城 (こやまじょう)
最寄地 山梨県笛吹市八代町北760 2014.1.3
登城ルート(緑線は車道)
空堀・標柱
城址碑・説明板
土塁
曲輪・土塁
土塁・物見櫓跡
小山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 表記番地老人ホームの東約200mに位置している[マップコード 59 409 666*11 ]。
浅川扇状地の北端に1万2千㎡の規模で周囲は空堀、高さ3~5mの土塁が巡らされ、北西の土塁上には物見櫓跡がある。曲輪は野球グランドに利用されている。遺構はよく残っている。
【歴史】 宝徳二年(1450年)穴山伊豆守が居住し、小石和の武田信重館を攻めている。
永正元年(1504年)穴山伊豆守信永が居住し、大永三年(1523年)三月に鳥坂峠を越えて侵攻してきた南部下野守宗秀と花鳥山で戦った後、小山城で防戦したが、利あらず二宮常楽寺へ落ち延びた。城は南部氏に守られていたが、天文十七年(1548年)武田晴信の為罪を得て南部宗秀は城を追放され、廃城となった。
天正十年(1582年)甲斐国武田氏滅亡後に起きた天正壬午の乱の時、御坂城の北条氏直勢に対峙する徳川家康は鳥居彦右衛門に小山城を修築させ、騎馬130、兵600人をもって守らせたと伝えられる。