奥佐田城 (おくさだじょう) (笹山城)
最寄地 三重県津市白山町佐田2185 2021.1.11
奥佐田城 (おくさだじょう) (笹山城)
最寄地 三重県津市白山町佐田2185 2021.1.11
登城ルート
民家・入口
登り口
南西の竪堀
2郭(下段)・標識
2郭(上段)
2郭北側堀切
主郭
主郭・標識
東尾根の堀切(倒木の下)
奥佐田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 白山町佐田の標高約139mの山頂に主郭が築かれており、南尾根に少し離れて2段になった2郭がある。
2郭背後の堀切は左右に横堀が付属しており、深く見応えがある。また南西の竪堀や主郭東の堀切など見所は意外と多い。
【案内】 県道28号線「亀山白山線」の山側に駐車スペースがあり[マップコード823 041 083*02]、表記番地南の橋を渡って右に行くと空き地(芒原)があり、その先に登り口がある(地図)。
左側の小屋の下を東に行くと竪堀があり、それに沿って登って行く。間もなく2郭の城塁が見え、虎口を入ると土塁を巡らせた2郭(下段)があり、立ち木に標識が括り付けられている。
その上に土塁を巡らせた2郭(上段)があり背後に堀切が残っている。堀切の西側より2郭の横堀に続いている。
さらに尾根を北に50mほど登ると土塁を巡らせた主郭がある。
東尾根に幅広の堀切があるが、倒木が乗っかっている。
【歴史】 築城年代は定かでないが、戦国時代、城主は堀山氏と云われている。
天正四年(1576年)11月に北畠具教(とものり)が織田信長・信雄父子によって殺害されると(三瀬の変)、翌年、弟・北畠具親が挙兵した時、小倭(おやまと)七人衆の一人で城主・堀山次郎左衛門も奥佐田城に立籠った。
しかし、織田信雄は滝川、柘植、長野氏に命じてこれを鎮圧した。
天正十二年(1584年)小牧長久手の戦いの時、秀吉軍の蒲生勢によって奥佐田城も包囲されると、堀山次郎左衛門は和睦し城を明け渡して退去した。
同年、蒲生氏郷の伊勢入封後、蒲生家の家臣・笹山小次郎がこの城を守った。