市場城 (いちばじょう) (小原谷大草城) (市の史跡)
最寄地 愛知県豊田市市場町深見675 2018.10.23
市場城 (いちばじょう) (小原谷大草城) (市の史跡)
最寄地 愛知県豊田市市場町深見675 2018.10.23
登城ルート(緑線は車道)
駐車場より遠景
城主の供養塔
二の丸東の空堀
本丸下段の石垣
本丸石垣
本丸北側・城址碑
二の丸
連続竪堀
北側堀切
市場城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 豊田市市場町の標高393mの山頂に本丸を置き、南に2の丸、西側に家老屋敷、帯曲輪が配置されている。
2段になった石垣は見応えがあり、空堀、連続竪堀、堀切などよく残っている。
【案内】 国道419号線「小原町前田」交差点の東の交差点より市道に入り、約1km行った表記番地向かいに見学者駐車場が用意されている[マップコード281 785 768*55]。
城跡を一周する遊歩道が整備され、標識がポイント毎に建てられ、分かりやすい。見所としては、城主の供養塔、空堀、2段になった石垣、本丸の土塁、2の丸や帯郭などの多くの曲輪、連続竪堀、枡形門跡、さんざ畑と呼ばれる家老屋敷跡などが挙げられる。さらに北側に足を伸ばせば堀切、土橋のある片堀切が見られる。
平成四年(1992年)3月2日、豊田市の史跡に指定された
【歴史】 応永年間(1394~1428年)には、足助重春の一族が小原谷市場古城に居城し、長禄三年(1459年)には、鱸(すずき)藤五郎親信が足助の鈴木小次郎忠親から小原谷を与えられ領有した。
文亀二年(1502年)に鱸藤五郎親信が市場城を築き、2代肥後守永重、3代伊賀守直重、4代越中守重愛(しげよし)までの88年間鱸氏4代の居城であった。
重愛は徳川家康に仕え、串原、広瀬の城を攻めて大功を立て、天正十一年(1583年)領地を加増され、石垣を積み、曲輪を構えるなど大改修を行なった。
しかし、重愛は天正十八年(1590年)徳川家康の関東移封の命に従わなかったため、市場城を退去させられ、文禄元年(1592年)廃城となった。