朝倉山城 (あさくらやまじょう)
最寄地 福井県福井市浜別所町34 2017.8.5
朝倉山城 (あさくらやまじょう)
最寄地 福井県福井市浜別所町34 2017.8.5
登城ルート
国道横の登口石碑
林道よりの登り口標識
主郭・櫓
説明板
主郭虎口
主郭切岸と空堀
2郭の無線設備
朝倉山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 標高173.1mの山頂にあり、石油備蓄基地のタンク群や日本海を間近に望める。戦前、防空監視哨が設けられたため、改変されているようだ。
【案内】 国道416号線に面した日吉神社(表記番地)横に駐車できる[マップコード560 808 843*43]。
その東、バス停東に「朝倉山登口」の石碑があり、林道を時計回りに250mほど行き、右に曲がって100mほど行くと、左に登り口がある。
そこから九十九折れの遊歩道を登ってゆくと、無線鉄塔前に出る。途中、小学生による手書きの案内標識が数か所立てられている。
2郭に鉄塔が建てられ、西側の最高所が主郭となっている。南側に桝形虎口や空堀が残っている。
【歴史】 『越前国古今城跡考』によると、「四天王覚書 朝倉玄蕃助景連 深坂村ヨリ九町 計南方山上二十五間四方計之所掻上之形有 自福井四里半計」と記されている。
朝倉景連は朝倉氏の一族で、一乗谷奉行衆の一人。永禄四年(1561年)朝倉義景が、この近くの三里浜で犬追物を興行した際、奉行を務めた。
『朝倉始末記』には「・・・天正三年(1575年)深坂の朝倉山を城郭に拵(こしら)える」とあり、織田信長の越前侵攻に対して、一向一揆勢が立て籠もった事が知られる。