山下城 (やましたじょう) (市の史跡)
最寄地 岐阜県高山市一之宮町1036 2018.10.8 2019.6.19 2019.9.7
山下城 (やましたじょう) (市の史跡)
最寄地 岐阜県高山市一之宮町1036 2018.10.8 2019.6.19 2019.9.7
登城ルート(緑線は車道)
夫婦松・城址碑(左)
説明板
居館跡・ 稲荷神社
林道入口・フエンス扉
林道の二股を左へ
20m先の案内標識・左の急な支尾根に取りつく
支尾根から登った主尾根より下る(←)
北側の最初の堀切
北郭北の堀切
主郭(南から)・古い城跡標柱
古い山下城跡の標柱
牛像の社
南側切岸
山下城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高240m】
【感想】 高山市一之宮の標高約906mの尾根先端部にある。
主郭は10m四方ほどで、古ぼけた標柱が建っており、牛像の祀られた社がある。北に一段下がって郭があり、更に北の尾根に堀切が2条見られた。
住民に教えてもらったが標識のある場所が分かりにくく、まさか沢を遡上するとは思わなかった。木が腐り標識が落ちていたので、掛けなおしておいたが強風が吹けば落ちるかもしれない。
尾根取りつき部は傾斜がきつく滑落など危険を伴い、注意を要する。
辿り着いた主尾根先端部は10m四方ほどで、標識やマーカーもなく見逃しがちであるが、左端より急な尾根を南東に、比高30m程下った所に城跡がある。3回目の挑戦であった(実は2回目は右へ登ってしまった。地図では分かっていても現地では自分の位置が分からないものだ)。
【案内】 国道41号線「一之宮」交差点より西に800mほど行き西に右折、宮川を渡って「山下上公民館」(表記番地)に向かう。
公民館より西に200mほど行くと夫婦松があり、その前に城址碑と説明板が建てられている[マップコード711 598 794*77](地図)。居館跡は稲荷神社一帯とされる。
山下城へは公民館東の道を北に行くと、墓地がありその先に駐車できる[マップコード191 013 079*46]。
そこよりフエンスを開け閉めして沢に沿って作業道を北へ約500m行くと、作業道が二股に分れ、そこを左に100mほど行くと、作業道の終点となる。その先から沢に下り、岩場の沢を20mほど遡上すると左側に「←山下城跡」の標識がある(この辺り)。
そこより取り付き西へ比高約140mの急な支尾根を登ってゆくと主尾根頂上に着く(この辺り)。
そこから右の高所に行かず、左(南東)に尾根を150mほど下ると、堀切、主郭に着く。
昭和三十五年(1960年)8月15日、高山市の史跡に指定された。
3回目は「夢ざくらカロリア」(一之宮町1273)西の林道からも登ってみた[マップコード711 598 727*53 ](地図)。
フエンスを越え左の谷へ進み300m程先までは広いが(地理院地図の実線)、その先の谷筋に道はなく(地理院地図の点線)、左の尾根に取り付き急斜面を登って辿り着いた。
登りはわかりやすいが、マーカーもなく下りの際に迷ってしまった。結局2回目に登った東の沢沿いの道に出てしまった。疲労度はどちらも同じ位だった。
【歴史】 天正五年(1577年)三木三澤が築いた。三澤は飛騨国一之宮水無神社の神官であったが、神職の座を家臣の森氏に譲り、自らは松倉城主三木自綱の妹婿となり、山下城を居城とした。
天正十三年(1585年)金森長近が飛騨に侵攻し、三木三澤は城を逃れ、山下城は金森氏の所有となった。
三澤はその後一揆を起こして、金森可重の居る山下城を攻めたが、敗れて討死した。