箱柳城 (はこやなぎじょう)
最寄地 愛知県岡崎市箱柳町日陰37 2023.1.15
箱柳城 (はこやなぎじょう)
最寄地 愛知県岡崎市箱柳町日陰37 2023.1.15
登城ルート
城址碑(裏面に由来)
入口(70m手前)
三段の石垣
三段目
二段目・主郭石垣
主郭石垣・城跡標識
主郭
主郭南側
箱柳城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 岡崎城の東約4.2kmに位置する箱柳町日陰の南から伸びる山裾に築かれている。
城跡は竹林となっており鬱蒼としているが、3段になった平坦地に石垣がよく残っている。背後の山側には堀は見られなかった。
【案内】 岡崎市箱柳町日陰の市道脇に城址碑が建てられ裏に由来が記されている[マップコード51 759 838*66]。その東側に駐車場がある。
橋を渡って左に行き表記番地東側に入口がある(地図)。案内標識が3ヶ所ほどあり、迷うことはない。最終標識から70m歩くと北端の3段目石垣前に着く。
【歴史】 正長年間(1428~29年)中根平右衛門盛清によって築かれた。
その後2代平右衛門忠盛、3代日野正清、4代新九郎正綱、5代彦右衛門忠明、6代傳七正邦、7代七郎兵衛忠利と続いた。
8代・中根肥後守忠良は城を拠点に勢力を拡げ、道根六郷(箱柳・小呂・田口・板田・岩谷・中畑)を支配した。
忠良の次男、平左衛門正照は徳川家康の家臣として二俣城の城主となったが、元亀三年十二月(1573年1月)の「三方ヶ原の戦い」に出陣し、討死した。『碑文より』