稲倉城 (しなぐらじょう)
最寄地 長野県松本市稲倉401 2015.12.6
稲倉城 (しなぐらじょう)
最寄地 長野県松本市稲倉401 2015.12.6
登城ルート(緑丸は3郭/緑線は車道/青丸は館跡)
御屋敷館跡
登り口・遊歩道図
一の空堀
本郭・城跡標柱
二の空堀
二の郭
三の空堀
三の郭
稲倉城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【案内・感想】 表記番地の約100mを右折し、約100m行ったカーブの右手に「稲倉城主屋敷館跡」の石碑、説明板が建てられ、下段に畑となった屋敷跡がある。
その先に獣除けフェンス扉があり、開け閉めて、林道「白張稲倉線」を約1km行った右手に空き地があり、駐車できる[マップコード468 750 034*36](地図)。案内図と標識が建てられている。
その山側に登り口があり右に登ると、ロープのある九十九折れの堀道が三の郭(地図)に通じている。
登り口より直進し、谷筋を登り、7合目より右の尾根に向かうと、本郭に着く。比高約140mの本郭には城跡標柱、説明板が建てられている。4段になった段差があり本郭の北に櫓台があり、その北に深い二重堀切・竪堀「一の空堀」がある。
本郭と二の郭の間に「二の空堀」がよく残っている。二の郭はお供え餅のような櫓台が特徴的である。二の郭の南に「三の空堀」があり、20m程高い三の郭がある。本郭と二の郭の西に数か所の段郭がある。
【歴史】 築城年代は定かではないが、建武二年(1335年)頃、小笠原氏の一族赤沢氏によって築かれたと云われる。
室町時代初めから戦国時代末期の天正十一年(1583年)まで、浅間郷の領主であった赤沢氏の本城である。
城は、稲倉地区の北方に位置する尾根約500mに亘って設けられ、急峻な岩壁と空堀によって堅固を誇っている『松本市教育委員会説明板』。
天正十一年(1583年)赤沢清経は塔之原城主海野氏や小岩嶽城主古厩氏らと結んで上杉氏に通じ、小笠原氏に謀反を企てたのが発覚し、切腹を命じられて滅び、麓の城館は廃された。