横田城 (よこたじょう)
最寄地 長野県長野市篠ノ井会666 2015.10.3
横田城 (よこたじょう)
最寄地 長野県長野市篠ノ井会666 2015.10.3
説明板
土塁(北側)
土塁(南側)・祠
説明板・祠・城址標柱
堀跡・土塁(北側)
駐車場南・水路
横田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「篠ノ井総合病院」(表記番地)の南西100mにある駐車場を寸借、道路は入り組み狭く駐車できない。用水路の道を西に100mほど歩くと、「防火水そう」の奥に土塁が残り「古殿稲荷社」が祀られ、右に碑、左に説明板が建てられている[マップコード177 857 539*61] 。
二重、三重の堀を巡らせた環濠式平城とされ、堀跡は昭和七年頃迄その遺構が見られ、堀の幅は6~8mあったと伝えられる。昭和五十九年(1984年)12月14日、長野市の指定文化財となった。
【歴史】 平安時代末頃の築城で、養和元年(1181年)木曽義仲が越後の城氏の軍と戦った時に利用し、また北陸を攻めた際も、根拠地の一つとした。
応永七年(1400年)信濃国守護小笠原長秀が、村上氏や大文字一揆軍と戦った大塔合戦の際も、長秀はこの城に籠っている。
川中島合戦の際には、甲将原大隅が籠ったと伝えられる。外濠は東西約230m南北約180mの矩形をなし、その内部が、環濠集落となっている。内城は約55m四方で、殿屋敷と云われ、北西隅(現在地)に東西12m南北10m高さ3mの土塁が残り、古殿稲荷社が祀られている。
稲荷社の北には近年まで6m以上の堀があった。外堀内の西半分が宮内(くねうち・郭内の意)といい、東半分を古町という。土塁の南に馬出しの地名があり、東に土居沢の地名がある。『長野市教育委員会説明板』より。