清水城 (きよみずじょう)
所在地 岐阜県揖斐郡揖斐川町清水1527 2018.11.24
清水城 (きよみずじょう)
所在地 岐阜県揖斐郡揖斐川町清水1527 2018.11.24
清水小学校
石垣・城趾碑・看板
稲葉一鉄の墓
案内板
一鉄公の墓
左から貞通公室/一鉄公室/貞通公後室の墓
清水城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 清水小学校一帯が城跡と云われ、周囲より微高地となっている。石垣が一部残っており、城址碑が建てられている。
【案内】 清水小学校(表記番地)の東側校門脇に「清水城趾」の石碑が建てられている。石垣は遺構と云われる。説明板は見当たらなかった。
北方の月桂院(揖斐川町長良72)には稲葉一鉄夫妻、貞通室、貞通後室の墓がある。
【歴史】 延文元年(1356年)林七郎左衛門通兼が清水山に城を築いた。
その200m年後、弘治三年(1557年)稲葉良通(一鉄)が山城を攻め落とし、城を破却して石垣を移し内堀外堀を巡らした清水城を築いた。天正七年(1579年)曽根城より移り、以後重通、通重3代の居城であった。
天正十六年(1588年)良通が没すると、曽根城は嫡子稲葉貞通が継ぎ、清水城は長子ではあったが庶流の稲葉重通が継いで1万2千石を領した。
慶長三年(1598年)重通が没すると稲葉通重が家督を継いだ。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、通重は叔父の貞通と共にはじめ西軍に属していたが、東軍に寝返り所領を安堵され、1万2千石の大名となり清水藩主となった。
しかし、慶長十二年(1607年)京都での酒乱狼藉により改易となり、清水藩は廃藩となった。