浦野城 (うらのじょう) (市の史跡)
最寄地 長野県上田市浦野1026−3 2020.7.12
浦野城 (うらのじょう) (市の史跡)
最寄地 長野県上田市浦野1026−3 2020.7.12
登城ルート
浦野墓地の五輪塔
馬場南側の段郭
馬場
縄張り図
上城西4条目の堀切
上城西1条目の堀切
上城・祠
北西尾根の堀切・土橋
北西尾根の堀切・竪堀
主郭
3郭
3郭南側の石垣
浦野城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m(西側堀切)】
【感想】 飯縄山から南東に伸びた尾根先端(標高約655m)に上城(物見砦)が築かれ、背後に4重の堀切がよく残っている。
更に尾根基部に深い堀切がよく残り、竪堀に続いている。
御射山祭広場(馬場)は広く、西背後の尾根に下城の階段状の郭が並び、先端の3郭南に石垣が見られる。
【案内】 上田市浦野の表記番地西に登り口がある[マップコード177 169 266*70](地図)。駐車スペースは少ない。東約100mの浦野墓地(上段)に室町時代末期の五輪塔があり、その手前からも登れる(地図)。
比高約100mに広大な御射山祭広場(馬場)がある(地図)。西側の広尾根に3郭、2郭、主郭がある。
主郭から北に2段の傾斜したを登り、更に比高30m程登ってゆくと、主尾根の堀切とそれに続く竪堀・空堀に着く(地図)。
尾根を南東に下ってゆくと、4重堀切があり先端に上城(物見砦)がある(地図)。上城の堀切側に土塁があり、4重堀切の内1、4条目は深いが2、3条目は浅くなっている。
平成二十三年(2011年)2月8日、上田市の史跡に指定された。
御射山祭は諏訪大社の神事で、広場跡から16世紀頃の礎石建物跡が発掘されている。
【歴史】 平安時代末期、祢津氏の一族が浦野庄の開発領主となり浦野氏を称した。
鎌倉時代幕府の御家人となり、浦野庄の地頭となった。戦国時代には葛尾城主村上氏に属した。
天文二十二年(1553年)村上義清が武田信玄に敗れると、浦野氏は武田氏の配下になり、川中島の合戦にも参加した。
天正十年(1582年)に武田氏が滅亡すると、上杉景勝に仕え、更にその後真田氏に仕えた。