尼巌城 (あまかざりじょう) (東条城・尼飾城)
最寄地 長野県長野市松代町東条443 2015.10.11
尼巌城 (あまかざりじょう) (東条城・尼飾城)
最寄地 長野県長野市松代町東条443 2015.10.11
登城ルート
手前尼巌山・奥奇妙山
岩沢口
池田の宮登山口
岩沢口との合流点
石垣
本郭跡・説明板
西2本目の堀切
西4本目の堀切
尼巌城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高400m】
【感想】 石垣が若干見られ、その上に標高781m比高約400mの尼巌山頂上に本郭ガあり、説明板が建てられている。長札口に通じる方向に堀切がよく残っている。
途中に巨岩が多くみられ、比高は高く登城はきついものがある。昔の兵たちもこうやって登り降りしたのだろう。頂上から川中島はじめ長野の市街が眼下に一望できる。
【案内】 玉依比賣命神社(表記番地)の右手に尼巌山トレッキングコース登山口に案内標識があり、パンフレットが置かれている。駐車場は、南東200mの鳥居前にある(地図)[マップコード177 836 282*64 ] 。
「池田の宮登山口」(地図)よりフエンス扉を開け閉めして登ってゆくと、長札口(松代福祉寮横)からの北コースとの連絡道がある。
更に登ると北尾根回りと南尾根回りに分かれるが、南尾根回りを進み、急坂を登り岩壁の横を通って8合目付近で岩沢口からの登山道と合流し、南東側の虎口に着く。
本郭は二段になって、西の長札口の堀切へ続き、小郭が4本の堀切の間にある。2本目と4本目の堀切は深く竪堀に続く。
別の登り口として岩沢登山口(地図)があり、2台分の駐車場がある。ここからは比高約260mで100m先から左が尼巌山、右が奇妙山トレッキングコースである(東山城跡:歩行距離2km・比高590m・所要時間1時間50分・)。
【歴史】 伝承によれば、鎌倉時代以前から築城されていた難攻不落の山城で、周りの霞城、金井山城、寺尾城はその支城と伝えられている。
弘治二年(1556年)、武田信玄は真田幸隆に尼巌城の攻略を命じた。城主の東条氏はよくこれに抗したが、高坂弾正らの武田軍の加勢により、遂に落城し、東条氏は越後の上杉氏の元へ逃れた。
その後、信玄の命により改築され、永禄三年(1560年)頃、山本勘助により海津城(松代城の原型)が完成すると、防衛的な山城として重視された。
天正十年(1582年)、武田勝頼が織田信長との天目山の戦いに敗れ、武田氏が滅亡すると、上杉景勝らの援護のもと、北信濃の諸将は旧地を回復し、上杉氏家臣となっていた東条信広も尼巌城将として復帰した。
慶長三年(1598年)上杉景勝が会津120万石に移封され、これに伴って東条氏ら川中島の諸士たちも会津に移ったため、尼巌城は4百年以上の山城の歴史に幕を閉じた。『「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会』説明板より。