足柄城 (あしがらじょう) (霞城)
所在地 静岡県駿東郡小山町竹之下 2014.6.12
足柄城 (あしがらじょう) (霞城)
所在地 静岡県駿東郡小山町竹之下 2014.6.12
足柄峠・城址碑・入口階段
一の郭
石碑
玉手ヶ池
空堀・二の郭
二の郭
足柄城 一の郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道78号線の静岡県小山町と神奈川県南足柄市の境の足柄峠付近にあり、駐車場がある[マップコード57 511 894*77](地図)。
登り口に城跡碑と看板があり、階段を上ると芝生の「一の郭」がある。東に「駿河之国小山領」の看板や井戸跡とも云われる「玉手ヶ池」があり、北に「足柄公園」の碑や石碑が建てられている。西の眼下に御殿場市街や霊峰富士の絶景が望め、北に空堀がよく残っており、その北に「二の郭」跡が広がっている。
【歴史】 足柄城は天文五年(1536年)頃に北条氏綱によって築かれたとみられるが、正確なところは判かっていない。
天文二十四年(1555年)に北条氏康が城に補修を行なったとされ、これは氏康が三田郷(神奈川県厚木市)の百姓に足柄城普請の人足を出させることを命じた記録から判かっている。
永禄十一年(1568年)に甲相駿三国同盟が武田信玄の駿河侵攻により破棄されると、この城の防衛上の重要性が増し、永禄十二年(1569年)から元亀二年(1571年)にかけて、大幅な改修を行った。
武田氏滅亡後は、豊臣秀吉と対峙するようになり、天正十五年(1587年)には北条氏光を城番とし大規模な改修を施した。
天正十八年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐が起きると、北条氏忠を守将として配置した。
氏忠は山中城(静岡県三島市)の落城を聞くに及び小田原城に退却し、残された守備隊は豊臣方の井伊直政の攻撃を受け、落城した。