高田城 (たかだじょう) (鮫ヶ城・関城・高陽城) (県の史跡)(日本さくら名所100選)
所在地 新潟県上越市本城町6‐1 2013.7.8
高田城 (たかだじょう) (鮫ヶ城・関城・高陽城) (県の史跡)(日本さくら名所100選)
所在地 新潟県上越市本城町6‐1 2013.7.8
案内板
外堀
内堀・極楽橋(復元)
内堀・三階櫓
内堀・土橋・三階櫓
本丸跡・案内板
三階櫓
小林古径邸
高田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 内堀に架かる極楽橋南の駐車場が利用できる[マップコード126 376 575*05]。
高田城址公園となり、極楽橋(2002年復元木橋)を渡ると御殿(明治三年三階櫓と共に火災で焼失)があった本丸である。南西隅にある御三階櫓が資料館(表記番地:1993年鉄骨造)となっており、御殿後に「上越教育大学附属中学校」が建てられている。
周囲は高さ10mほどの土塁で囲まれ東西南北の四ヶ所の入口があり門があったとされる。
巾50mほどの外堀の東半分は埋め立てられ、残る西半分には蓮が一面に植えられている。明治四年、戊辰戦争と大凶作の為、藩は財政難に陥り、戸野目の大地主・保阪貞吉により堀に蓮根栽培が行われたという。
二の丸跡(地図)には東京都大田区南馬込にあった小林古径邸が移築保存され、上越市の陸上競技場はじめ図書館、博物館や駐車場がある。更に外側には関川、堀川が流れ周囲を囲んでいる。
昭和二十九年(1954年)2月10日、新潟県の史跡に指定された。
【歴史】 慶長十九年(1614年)徳川家康の六男松平忠輝が75万石で築城した大規模な近世城郭だったが、石垣は用いられていない。三階櫓、御殿は建てられたが天守閣は建てられなかった。
元和二年(1616年)忠輝は改易され、酒井家次が高崎より十万石で移封された。
元和四年(1618年)酒井家次の子・忠勝が松代に転封され、松代藩主松平忠昌が25万9千石で移封され、入城した。
元和九年(1623年)忠昌が越前福井藩50万石を相続し高田から転封となった。寛永元年(1624年)松平光長が26万石で高田藩を立藩した。
寛文五年(1665年)高田地震により建造物が倒壊し、三重櫓を建設した。天和元年(1681年)光長が越後騒動で改易された。
貞享二年(1685年)稲葉正往が小田原より10万3千石で移封された。元禄十五年(1702年)稲葉正往が下総佐倉に国替えされ、佐倉の戸田忠真が6万8千石で交換移封された。
宝永七年(1710年)戸田忠真が下野宇都宮に移封され、松平定重が伊勢桑名(桑名城)から11万3千石で移封された。
寛保元年(1741年)松平定賢が、陸奥白河に移封され、翌、寛保二年(1742年)榊原政永が播磨国姫路から15万石で入封。以後榊原氏が明治四年(1871年)まで続いた。
明治三年(1870年)に本丸御殿、三重櫓などを焼失。明治六年(1873年)廃城令によって存城処分となり焼失しなかった建造物も取り壊された。
明治四十一年(1908年)陸軍十三師団が駐屯の際、土塁が切り崩され城跡は変形したが、基本的な原型は保存されている。