松任城 (まっとうじょう)
所在地 石川県白山市古城町2 2014.10.27
松任城 (まっとうじょう)
所在地 石川県白山市古城町2 2014.10.27
松任城址公園
内堀跡
松任城本丸跡の碑
櫓台跡
松任城本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 本丸跡は、JR北陸本線松任駅の南、「白山市松任文化会館」(表記番地)の北に位置する「松任城址公園」となっている[マップコード41 368 546*86]。
南西に「櫓台跡」が残り、「松任城本丸址」の石碑や「松任城略年表」の石碑が建てられている。北西に忠魂碑がある。東側に内堀跡、橋が平面復元されている。
二の丸は本丸の南「松任文化会館」「松任図書館」「市民工房うるわし」(殿町62−5)の敷地となりL形をしており、三の丸はその南「願念寺」(西新町255)付近であり外堀で区画された城域は一辺約300mの正方形であった。
【歴史】 松任範光が鎌倉時代初期に築城したと伝えられている。
長享年間(1487~89年)の時に鏑木繁常が松任城主となった。
天正五年(1577年)鏑木頼信の手取川の戦いの際に上杉謙信が攻略して落城したとも、織田軍によって落城したともいわれる(『越登賀三州志』)。
天正八年(1580年)に柴田勝家が松任城を落城させ、家臣徳山則秀が入城した。鳥越城主・鈴木出羽守がこの城に呼び出され謀殺された。
賤ヶ岳の戦いの恩賞で天正十一年(1583年)に前田利長に松任4万石を与えられ越前府中城より移った。三年後、丹羽長重が入り11年間在城し、平城として整備された。
慶長二十年(1615年)一国一城令により、廃城となった。