田沢城 (たざわじょう) (天山城)
最寄地 静岡県浜松市北区引佐町田沢538 2016.3.20
田沢城 (たざわじょう) (天山城)
最寄地 静岡県浜松市北区引佐町田沢538 2016.3.20
説明板
登城ルート(緑線は車道)
林道入口
三叉路左の道路・道標
9合目付近の説明板
城山・無線中継所
城山・無線中継所
案内板
田沢城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高420m(林道)】
【案内・感想】 県道359号線より北に行った表記番地の約200m東に林道入口がある[マップコード26 844 374*07] (地図)。「この先田沢城跡5㎞」と書かれた道標が立てられている。
約2.7㎞行き三叉路の左の道に「この先田沢城跡2.3㎞」と書かれた道標及び「NTTDoCoMo東海引佐無線中継所」の標識がある[マップコード26 873 475*58](地図)。
林道は一部砂利道であるが、舗装され、頂上手前の道路横に説明板(地図)が建てられている。100m先の林道寺野線分岐を左折すると頂上に至る[マップコード26 873 661*06]。
標高657.2m比高420mの山頂にはNTTの引佐無線中継所があり、フエンス前に「城山」の案内看板があり、広い削平地があり駐車できる。遺構は見当たらない。
【歴史】 南北朝時代、井伊家から分かれた田中三郎兵衛直家の子直道は、田沢の地に移り、田沢兵衛次郎直道と名乗り、天山に築城した。
井伊家は天領を預かる名門として、南朝方に味方し後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王を奉じて、井伊谷に拠点の城を設けた。田沢城は井伊家の北辺の守りとして設けられた。
宗良親王は三岳城に立て籠もって戦ったが、北朝方の足利尊氏方の大軍に屈して、興国元年(1340年)一月落城したと、古文書に記されている。
田沢城は、三岳城落城に先立って、延元四年(1339年)秋の頃、井伊攻めの激戦で衆寡敵せず、落城したものと思われる。
宗良親王に味方した田沢城主は田沢氏初代の田沢兵衛次郎の孫彦三郎次郎頼直とその子大炊介通直である。『田沢自治会説明板』より。