大出城 (おいでじょう) (里小屋城)
最寄地 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪2253−1 2018.8.25
大出城 (おいでじょう) (里小屋城)
最寄地 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪2253−1 2018.8.25
切岸・説明板
説明板
主郭・城跡標柱
天満天神宮
主郭
東側切岸
大出城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 天竜川右岸の段丘に築かれている。主郭の北西には三条の堀とそれに区画された郭があったと伝えられ、現在は国道153号線で分断されている。遺構は主郭の切岸が見られる程度で、空堀などは見られない。
【案内】 国道153号線の表記番地南側の石が置かれた先に、左に入る細い道があり、横に2、3台の駐車スペースがある[マップコード171 613 635*04]。その横に説明板が建てられている。
10mほど階段を上ると、主郭は公園となり、「大出城跡」の標柱が建てられ、忠魂碑や天満天神宮が祀られている。
【歴史】 居城者については明らかではないが、『諏訪御符礼之古書』には、室町時代後期(15世紀後半)に、大出の地に藤沢出羽守有兼・同有世なる人物が居たことが記されている。
『二木家記』などの諸資料には、天文十四年(1545年)武田信玄の伊那侵攻に際し、これと戦った福与城の藤沢頼親配下の士として「大出」の名がある。
『伊那温知集』には、天文の頃に福与城主藤沢氏一門の藤沢織部なる人物が居城していたと記されている。
こうしたことから、室町時代後期から戦国時代には、箕輪郷の藤沢氏に関係する人物が居たと考えられている。