萱生城 (かようじょう)
所在地 三重県四日市市萱生町238 2016.4.2
萱生城 (かようじょう)
所在地 三重県四日市市萱生町238 2016.4.2
説明板
暁高校階段
高校北側の土塁
供養碑・山神碑
髪のびの井戸
萱生城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道64号線「あかつき台中央」交差点より北に市道を約250m行き、左折すると「暁高校」(表記番地)があり、外来者駐車場を利用させてもらった。
比高約30mの東西に細長い台地上にあり、暁学園暁高校、暁中学校敷地となり、遺構は少ない。
高校北側の少し高くなった所に「髪(け)のびの井戸」が残り、「萱生城殉難者供養碑」、「山神」の石碑、説明板が建てられている。
【歴史】 元亀二年(1571年)五月に始まった伊勢長島一向一揆の鎮圧に先立って、永禄十一年(1568年)に織田信長軍本隊の先鋒隊として派遣された羽柴秀吉・瀧川左近の連合軍により萱生城は攻撃を受けた。
当時の城主は、北勢三家衆の勢力頭として、近隣の大矢知経頼、伊坂(現伊坂ダム付近)の春日部太郎右衛門などの土豪を従えて活躍していた春日部俊家であった。
織田連合軍は中村地内(学園向いの丘陵)に陣を布き、対峙し五年間も奮戦した。しかし、天正元年(1573年)の総攻撃により、炎上落城した。その際女人衆が身を投じた井戸が「髪のびの井戸」である。