赤須城 (あかすじょう)
最寄地 長野県駒ケ根市下平697 2015.12.29
赤須城 (あかすじょう)
最寄地 長野県駒ケ根市下平697 2015.12.29
登城ルート(緑線は車道/水色は空堀)
添郭西の空堀
添郭跡
添郭東の空堀
空堀・二の丸跡・標柱
二の丸跡・土塁
本丸・土塁
本丸前の説明板・標柱
縄張り図
外城跡
赤須城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 表記番地の東に空堀がよく残り、「添郭」がある。その東に空堀が2条あり、「出郭跡」付近に駐車場[マップコード143 805 582*36](地図)が用意されている。西方遥かに駒ヶ岳を中心とする中央アルプスの絶景が望める。
「二の丸跡」には土塁が残り、西の空堀の前に「赤須城跡」の標柱が建てられている。
道路の斜め向かいに土塁の残る「本丸跡」があり、碑、説明板が建てられている。さらに東の道路の上に「外城」がある。いずれの郭も、空堀で分けられている。
北方は田沢川の深い谷で、東は峻立する急斜面、南は宮沢川の浸食による深い自然の堀となっている。
昭和五十二年(1977年)3月28日、駒ケ根市の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、船山城(松川町)を拠点に発展した片桐氏の分流で、片桐孫三郎為幸が、この地に居城を構え、赤須氏を称したとされる。
天正十年(1582年)織田軍の兵が、伊那谷に侵攻したとき、この城も武田氏支配下の諸城と共に滅んだ。『駒ケ根市教育委員会説明板』より。