本郷城 (ほんごうじょう) (町の史跡)
最寄地 岐阜県揖斐郡池田町本郷398−3 2018.11.24
本郷城 (ほんごうじょう) (町の史跡)
最寄地 岐阜県揖斐郡池田町本郷398−3 2018.11.24
説明板
入口
櫓台
城跡標柱
馬乗石
本郷城阯碑
本郷城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 池田町本郷地区の住宅と田圃の間にあり、城域は東西116m南北149mの不整形の台形状の、堀と土塁を2重に巡らせた平城であったという。
周囲は田圃や住宅地となり、大部分の遺構は消滅し、本丸北西隅にあった櫓台が残るのみとなっている。
【案内】 県道254号線に面した表記番地東より[マップコード242 413 795*26]、南に100mほど行くと入口の標識がある。道路は狭く駐車スペースは少ない。
幅1mの舗道をクランクして行くと、説明板の建てられた櫓台がある。歴代武将馬乗石が置かれ由来石碑、本郷城阯碑が建てられている。
昭和三十二年(1957年)11月11日、池田町の史跡に指定されている。
【歴史】 築城時期など詳細は不明であるが、承和年間(834~48年)頃、池田惟実が居たとも、南北朝時代に土岐頼忠(後の5代目美濃国守護(応永四年没))が築いたとも云われている。
頼忠の子頼益は、父についで本郷城に居り、のちに萱津(愛知県あま市甚目寺)に移ったとされる。
土岐氏が出たあと、この地の豪族国枝為助が居城とした。為助は明応四年(1495年)船田合戦で兄弟5人と共に討死したが、国枝氏は以後も代々ここを本拠とした。
慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の時には、国枝重元の弟修理亮政盛が城主であったが、西軍に属した為、城は東軍によって焼き払われてしまった。『池田町教育委員会説明板』より。