鉈尾山城 (なたおやまじょう) (上有知城 )(こうずちじょう)
最寄地 岐阜県美濃市(その他)32−1 2014.11.24
鉈尾山城 (なたおやまじょう) (上有知城 )(こうずちじょう)
最寄地 岐阜県美濃市(その他)32−1 2014.11.24
登城ルート
林道・登り口階段
分岐道
展望所
主郭北3曲輪
主郭北2曲輪
主郭虎口
主郭・四阿
主郭・城址碑
鉈尾山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高250m】
【案内・感想】 東海北陸自動車道の古城山トンネルの直上に位置している。
「清掃センターごみ埋立処分場」(表記番地)北の林道古城山線(休止中)入口に駐車スペースがある[マップコード70 755 742*68]。
徒歩で、東に160m行き、左へ道なりに1900mほど行くと、登山道入り口(地図)がある。
50mほど行くと分岐道になり左は緩やかで約1700mで本丸南、右は急坂で約1300m歩くと本丸北に着く。
左側の登山道をゆくと、木道等が整備され、約600m登ると展望所がある。展望所から長良川に沿った美濃市の市街が望める。
約700m登ると、曲輪が三段あり、その南に主郭と、一段ずつ高くなって南北に並んでいる。
標高437m(比高約250m)の古城山頂上、主郭には案内板、「美濃守佐藤才次郎城址」の石碑、四阿が建てられている。主郭の南に虎口があり曲輪が三段あり、50m南に石垣が散見でき、東下段に帯曲輪がある。主郭からの展望は素晴らしい。
【由来】 『上有知旧事記』によると、山頂の城は南北十八間、東西二十間で、四方を釣壁の塀に囲まれた要害であった。
釣壁の釣縄を鉈一本で切断し、壁を断崖に落として何千騎でも防ぐことができ、七尾山が鉈尾山と呼ばれるようになったのはこのためだという。
【歴史】 天文年間(1532~55年)、斎藤氏に仕えていた佐藤六左衛門清信により築城された。
清信の子・秀方は織田信長の家臣として戦功をあげ、本能寺の変後は羽柴秀吉に仕えて鉈尾山城を安堵された。
秀方の子・才次郎方政は、豊富秀吉の死後、岐阜城の織田秀信に付き、関ヶ原の戦いの前哨戦・米野の戦いで敗走して、鉈尾山城主としての佐藤氏は滅亡した。
替わって東軍に属していた金森長近が上有知に関を加えて武儀郡全体の領主となり、上有知(こうずち) に新たに小倉山城を築いたため、鉈尾山城は廃城となった。