山吹小城 (やまぶきこじょう)
最寄地 長野県諏訪郡下諏訪町東町中652 2019.8.18
山吹小城 (やまぶきこじょう)
最寄地 長野県諏訪郡下諏訪町東町中652 2019.8.18
説明板
登城ルート(緑線は車道)
登り口
尾根の標識と説明板
主郭北の堀切
主郭・説明板
2郭北の堀切
2郭
3郭北の堀切
3郭
山吹小城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 下諏訪町清掃センター西側の標高946mの尾根に築かれており、3つの主要郭とそれぞれを区切る堀切がよく残っている。主郭には説明板が建てられ、土塁も残り、全体的に草木も少なく見栄えがする。
【案内】 下諏訪町清掃センター(表記番地)敷地の先から斜めに登る道がある[マップコード75 326 213*54]。その先右側に駐車スペースがある。
登ると間もなく尾根に着き、道標と説明板が建てられている。左(南)に行くと、堀切があり、主郭に着く。右(北)に500m行くと、山吹大城へ着く。
【歴史】 諏訪大社下社の大祝(おおほうり)であった金刺氏により築かれた城で、金刺氏の居城は下社秋宮の背後の桜城とされ、山吹城は有事の際の詰城とされ、前方に小城があり後方に本城である大城が構えられていた。
金刺氏は「中先代の乱」「桔梗ヶ原の合戦」「大塔合戦」などの抗争を経て、諏訪大社上社の大祝・諏訪氏との間に政治姿勢の相違が重なり、対立して行った。
やがて上社と下社は武力衝突し、上社勢が下社を攻め、社殿を焼き払う結果となった。その後も、抗争は続き概ね下社の劣勢であり、衰退の一途であった。
永正十五年(1518年)諏訪頼満は、金刺昌春が籠城していた萩原の要害へと攻め入った。この萩原の要害が山吹城の大城ではないかと推定されている。
上社大祝家に伝わる『当社神幸記』によると、萩原要害は自落して、金刺氏は没落したとある。『現地説明板』より。