馬場美濃守屋敷 (ばばみののかみやしき)
所在地 山梨県北杜市白州町白須1140 2019.8.10
馬場美濃守屋敷 (ばばみののかみやしき)
所在地 山梨県北杜市白州町白須1140 2019.8.10
白州保育園
馬場美濃守屋敷跡の標柱
東側
自元寺
馬場信春の墓
馬場美濃守屋敷跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 白州保育園の標柱の建っている所から、県道を跨いだ南の薬局(白州町白須1008)付近が屋敷跡と思われるが、遺構は残っていない。
総門の説明板には移築元として、薬局東が記載されている。
【案内】 国道20号線より県道614号線を西へ約500m行った白州保育園(表記番地)付近が屋敷跡と云われる[マップコード167 789 529*33]。
園内は立ち入り禁止だが、道路に面して標柱が建てられている。北側に堀跡のような地形が見られる。
自元寺(白州町白須1364)に馬場氏の墓があり、総門は屋敷跡の移築門と伝えられ、現在は鉄板葺であるが、元は茅葺であったという。
【歴史】 武田信虎時代に信虎に当主・馬場虎貞が殺害された為に馬場家は名跡が絶えていた。
天文十五年(1546年)教来石民部景政は甲斐武田氏譜代の名門である馬場氏を継ぐことを許された。このとき、同時に50騎持の侍大将となり、名も景政から信房と改めた。永禄五年(1562年)には馬場美濃守信春と改名した。
天正三年(1575年)五月の長篠の戦いでは山県と共に撤退を進言するが容れられず、代わりの策も勝頼の側近に退けられた。この戦いで勝頼を逃がした後、織田軍と戦い討死した。