山本城 (やまもとじょう)
最寄地 富山県南砺市山本272 2019.6.19
山本城 (やまもとじょう)
最寄地 富山県南砺市山本272 2019.6.19
東側遠景
城跡・説明板
説明板
日露戦役忠勲碑
2段になった城跡
西側の堀状地形
山本城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 南砺市山本の西から伸びた台地先端付近に位置している。
現在は城跡の面積は小さいが、西側の部分は圃場整備事業で削平されたと思われる。
【案内】 南砺市山本の表記番地の西に小高い台地があり、そこが山本城跡の一部である[マップコード122 192 369*40]。
円形の台地上に説明板、中央に「日露戦役忠勲碑」が建てられている。
【歴史】 寿永二年(1183年)木曽義仲に味方し、倶利伽羅峠の源平の戦いで戦功を挙げた石黒光弘は福光城に拠り、砺波を支配した。
戦国時代、石黒光秀の次男・石黒宗五郎が山本村を領し、城主であった。
天正九年(1581年)織田信長に攻略され、石黒氏が滅びると佐々成政の家臣山本志摩守が城主となった。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉に降った佐々成政が、翌年肥後へ移ると、山本城も廃城となった。