岩村城 (いわむらじょう) (霧ヶ城) (県の史跡)(日本100名城38)
所在地 岐阜県恵那市岩村町城山 2013.9.2 2017.8.23
岩村城 (いわむらじょう) (霧ヶ城) (県の史跡)(日本100名城38)
所在地 岐阜県恵那市岩村町城山 2013.9.2 2017.8.23
出丸より見た本丸石垣
本丸虎口
本丸桝形虎口
本丸跡・昇竜の井戸
長局埋門
六段壁の石垣
大手石垣
大手・一の門跡
妙法寺の不明門
岩村城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 日本三大山城(岩村城、高取城、備中松山城)の一つで、標高713mの城山山頂にある。
岩村市街東外れの国道418号線(国道257号線共有区間) より約600m北に行った岩村城の出丸跡に駐車場があり、休憩施設が設けられている[マップコード368 669 674*22](地図)。
出丸跡から西へ歩くと杉木立の二の丸でその東が本丸跡である。表門の虎口の石垣は良く保存され曲輪の廻りに土塁石垣がめぐらされている。昇竜の井戸が残る。
本丸東の東曲輪に長局埋門跡があり、東曲輪の北面に段郭があり、六段壁の石垣が残る。北へ行くと三の丸、八幡曲輪でその南に追手門跡、土岐門跡、一の門跡の石垣が残されている。
土岐門が徳祥寺(岩村町飯羽間188)の山門として、不明門と伝わる門が妙法寺(岩村町911)の山門として、それぞれ移築され現存する。
遠山十八支城として、明知城、苗木城、阿寺城、飯羽間城、阿木城、千旦林城、串原城などがある。
昭和三十二年(1957年)12月19日岐阜県の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(38番)に選定された。
【歴史】 天然の峻険な地形を活用した要害である。海抜717mで全国の山城の中でも高地にあり日本三大山城の一つである。
岩村城の築城は源頼朝の重臣加藤景廉が文治元年(1185年)に遠山荘地頭に補せられたのに始まる。景廉の長男・景朝が岩村に移り、遠山氏に改名し代々居城した。
元亀三年(1572年)5代遠山景任の没後、未亡人が城主となった。戦国時代に入り、武田信玄の家臣・秋山信友が天正元年(1573年)に岩村城を奪取して入城したが、天正三年(1575年)に織田軍に敗れ、信友夫妻ら5名は長良川で逆さ磔により処刑された。
以後、城主は川尻鎮吉、森蘭丸、森長一、森忠政、田丸具忠と28年間に目まぐるしく交替した。
慶長五年の関ヶ原の戦い後、西軍に属した田丸氏に替って、松平家乗(大給松平家)が城主となった。
江戸時代の城主は、松平氏2代、丹羽氏5代の後、大給(おぎゅう)松平分家の松平氏7代を経て明治維新を迎え廃城となり、明治六年(1873年)破却された。