旭山城 (あさひやまじょう) (旭山砦・朝日山塁)
最寄地 山梨県北杜市高根町村山東割2210−1 2018.4.8
旭山城 (あさひやまじょう) (旭山砦・朝日山塁)
最寄地 山梨県北杜市高根町村山東割2210−1 2018.4.8
登城ルート(緑線は車道)
林道・入口標柱
北側登り口
主郭北東側空堀
朝日山之塁址の石碑
2郭
2郭南側土塁
2郭南側空堀
旭山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 標高911.8mの旭山頂上に主郭、200mほど南に2郭がある。
主郭は通路以外藪化しており、北東の通路の左右にわずかに土塁や空堀が残っている。それに比べ2郭は土塁空堀がよく残っている。
【案内】 国道141号線より西へ入り表記番地の西約200mに「朝日山塁址入口」の碑がある[マップコード537 606 831*20](地図)。
林道を約2km北上すると、朝日山への入口があり駐車スペースがある[537 666 259*36](地図)。
南に登ってゆくと、「みんなの広場」があり桜が満開であった。南西の通路付近に空堀があり、朝日山頂上はなだらかで、主郭となっているが、目立った遺構は無い。
南に200mほど歩くと、2郭がある。入り口に「朝日山之塁址」(昭和二年建)の石碑が建てられている。その南に50m四方ほどの平坦地の2郭があり南側と東側に土塁、空堀が残っている。
【歴史】 天正十年(1582年)武田氏滅亡後、その所領を徳川氏と北条氏が争った天正壬午の乱に際して北条氏直が築いた陣城である。
北条氏直は佐久から甲斐へ侵攻し、若神子城を修築して本陣を構え、新府城に入った徳川家康の軍勢と対峙した。しかし、徳川家康方の春日城主依田信蕃が佐久で北条軍の補給路を断ったことから、信濃から撤退を余儀なくされた。