徳合城 (とくあいじょう)
最寄地 新潟県糸魚川市徳合1816 2017.6.7
徳合城 (とくあいじょう)
最寄地 新潟県糸魚川市徳合1816 2017.6.7
登城ルート
登り口・標柱
とむらい屋敷
千人溜
三の丸
本丸
二の丸
見張場
徳合城 見張場跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 標高464mの大峰より西に伸びた標高308mの尾根頂上(トヤ峰)に見張り場がある。その北に谷戸構えの本丸がある。
遊歩道が設けられ、標柱も設置されている。見張場からは、徳合集落や山の向うに日本海が望める。
【案内】 国道8号線より「仙納・徳合」方面へ県道431号線に入り、約3.2㎞行くと「神明宮」、「中村バス停」があり、その先に駐車できる[マップコード707 128 710*15](地図)。バスも利用するので、説明案内板のある隅に停めるとよい。
約50m先の表記番地横に「徳合城本丸1000m」の標識が建てられている。約600m(ここまで車でも行ける)行くと、右に登り口があり(地図)、その先に「とむらい屋敷」(墓)がある。
土橋を経て、千人溜があり、その上段の左に三の丸、右に広い広場があり、本丸へ続いている。本丸の先に狭い二の丸があり、本丸手前より10mほど登ると、トヤ峰に見張場がある。
大峰頂上に詰城(狼煙台)がある。県道を600m南に行くと天狗山の案内図があるが、大峰の南約1kmの尾根続きに位置する山頂である。
【歴史】 鎌倉時代末期から南北朝期の頃には、西浜頚城郡薗田保の地頭であった源姓村山氏が城を構えていた。
天文年間(1532~55年)前半まで、16代村山直義が徳合城主であったが、17代義信は、何らかの理由で筒志城主に移っている。
戦国時代末期、永禄八年(1565年)根知城主となっていた村上義清の子国清が徳合城主となっている。春日山城の支城として重要な役割を果たしたものと思われる。
慶長三年(1598年)上杉景勝の会津移封に同道し、国清も徳合城を後にした。