沢海城 (そうみじょう)
所在地 新潟県新潟市江南区沢海 2017.6.5
沢海城 (そうみじょう)
所在地 新潟県新潟市江南区沢海 2017.6.5
床固め公園・沢海城跡説明板
説明板
光圓寺・代官所碑
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 阿賀野川の左岸河川敷付近にあった平城で、遊具などの置かれた芝生公園となっている。
【案内】 県道17号線の阿賀野川左岸の「床固め公園」付近と想定され、説明板が建てられている[マップコード32 559 752*17](地図)。遺構は消滅している。
光圓寺(沢海2丁目14−8)山門前に「沢海代官所屋敷跡」の石碑が建てられている。
【歴史】 慶長十五年(1610年)新発田藩初代藩主溝口秀勝の次男善勝により、秀勝からの遺領上野国知行分・新田分を合わせ1万4千石で沢海藩が成立した。
以後2代土佐守政勝、3代伊予守政良と継がれたが、政良の世嗣政武は早世した。そこで水口藩加藤家より政親を養子に迎えたが藩政は乱れて貞享四年(1687年)に改易となり沢海藩は廃された。
築城時期は寛永十六年(1639年)以降と推定され、2代政勝の時代の沢海城完成と共に、家臣団も新発田より移住してきた。城は陣屋風の館で規模も大きくはなかったと推察される。
沢海藩改易後、当地は旗本の知行所となり代官所が現光圓寺に置かれた。