平倉城 (ひらくらじょう) (小谷城)(おたりじょう)
最寄地 長野県北安曇郡小谷村中土9690 2016.11.13
平倉城 (ひらくらじょう) (小谷城)(おたりじょう)
最寄地 長野県北安曇郡小谷村中土9690 2016.11.13
登城ルート(緑線は車道)
切った屋敷跡
登り口・標柱
平倉神社
平倉神社先の木の橋
鉄塔横道標
主郭・説明板
局屋敷
詰南の堀切
山頂の詰郭・岩場
平倉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★ ☆☆ 比高260m】
【感想】 沢の橋は細く、足がすくんだ。送電線鉄塔までは割と緩やかであるが、そこから先は滑りそうな急な道となっている。尾根の大杉の根元に祠があった。
傾斜した主郭と杉林の中の局屋敷があり、防御施設は少ない印象だ。山頂までは急な岩場となり、頂上からは、雪を戴いた北アルプスや姫川の清流が遠望できる。
【案内】 国道148号線(千国街道)のトンネルの切れ目にある「小谷温泉口」交差点を右折、東に1km行くと三叉路があり、説明板が建てられている。そこから、平倉山が眺望できる。
北に向かうと途中に「切った屋敷跡」(地図)があり、道路入口に説明板が建てられている。更に北に行き集落の終わるところに登り口があり、「平倉城趾遊歩道入口」の標柱が建てられている[マップコード535 560 430*76](地図)。その反対側に駐車余地がある。
すぐ平倉神社があり、その左より沢に下り、砂防ダム下の木橋を渡る。鉄塔管理道路となっており、鉄塔の尾根を右に登る。
急な九十九折れの道を登ってゆき尾根に出、左になだらかな道を行くと主郭がある。東西36m南北10mほどの細長い主郭に「平倉城の合戦」説明板が建てられている。
上段に平倉神社跡の郭があり下段に局屋敷跡の郭がある。左手の尾根筋を比高30mほど登ると、平倉山山頂(標高824m)の詰郭 に至る。三角点があり、穴のある岩場がある。
【歴史】 小谷7ヶ村の領主飯森山城守盛照の居城であった。応永(1394~1428年)の頃上杉氏に従った飯森日向守盛春が守っていた。
弘治三年(1557年)七月五日、武田信玄の武将山形昌景に攻められその旗下・曲淵庄左衛門により盛春は討ち死にした。