森寺城 (もりでらじょう) (湯山城・井口城・井山城) (市の史跡)
最寄地 富山県氷見市森寺183 2017.6.23
森寺城 (もりでらじょう) (湯山城・井口城・井山城) (市の史跡)
最寄地 富山県氷見市森寺183 2017.6.23
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・案内板
搦手口東側土塁と堀切
牛ヶ窪付近の堀切
クランク道西の堀切
クランク道の土塁
北側登城路の石垣・二の丸
二の丸
本丸石垣(東側)
南側登城路の石垣
森寺城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高140m(麓より)】
【感想】 標高161.1mの山頂に東西約40m南北約70mの本丸・二の丸があり、南北に細長い尾根に小郭を配置した広大な城である。
中世の史料に「湯山」として登場し、堀切、竪堀、土塁、石垣、大井戸などがよく残り見所は多い。
【案内】 森寺公民館(表記番地)より、谷合いの西側の道を北に約2㎞行くと、9合目付近に見学者駐車場が用意されている[マップコード135 295 044*84](地図)。
北側に搦手口のクランクした通路の両側に土塁があり、堀切を併せ持つ。
戻って南に行くと深い堀切が3ヶ所ほどあり、クランクした通路の両側に土塁が残っている。
更に南に百間馬場があり、その南より東に登ると、石垣があり、2の丸に至る。二の丸は広大で大井戸跡が残っている。南西に本丸があり、石垣・土塁がL字形に残っており、南に石垣の登城路がある。
昭和四十八年(1973年)1月31日、氷見市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は定かではないが、永正年間(1504~21年)頃、能登畠山氏の支城として築かれたと云われる。
天正五年(1577年))、湯山城は上杉謙信により攻略された。謙信は河田主膳を城主としたが、天正七年(1579年)穴水城主・長連龍によって攻められ落城した。
天正十年(1582年)、佐々成政が越中に入部した後は、斎藤氏を城主とした。
天正十二年(1584年)の加賀の前田氏と越中の佐々氏の争いの際、成政により湯山城は改修されたとされる。
天正十三年(1585年)佐々成政が豊臣秀吉に降伏した後、前田利家の所領となり、その後廃城となったと見られる。