船山城 (ふなやまじょう) (県の史跡)
所在地 長野県下伊那郡松川町上片桐3504 2016.1.10
船山城 (ふなやまじょう) (県の史跡)
所在地 長野県下伊那郡松川町上片桐3504 2016.1.10
説明板
登城ルート
御射山神社・城跡碑
二の丸・堀
本丸二の丸間の空堀
本丸跡標柱
出丸空堀
出丸
出丸・猿ヶ鼻神社
船山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 御射山神社(表記番地)の駐車場南に「船山城跡」「船山城址」の石碑が建てられている[マップコード143 410 361*73] 。
神社の西側に水堀とそれに続く空堀がある。二の丸跡の北西に御射山神社が建っている。
二の丸の中央の道を東に行くと、空堀があり、一部墓地となっている。その先に本丸跡の標柱があり、東端に空堀があり、土橋の先に出丸跡(地図)がある。出丸跡の土塁上に神社が建てられ、郭は東に細長く広がっている。
昭和五十五年(1980年)9月8日、長野県の史跡に指定された。
【構造】 中世前期に築かれた出丸と呼ぶ船山一帯の郭と、中世後期に築かれた城畑一帯の本城の二つがある。
本城には大規模な本丸、二の丸から成り、出丸には大小四つの郭が設けられている。城内の北西隅には守護神の御射山神社を祀り、城外に接して瑞応寺(元は宝珠院)がある。
【歴史】 船山城は、築城年代は定かではないが平安時代末から戦国時代まで四百有余年、伊那地方に栄えた信濃の名族・片桐(片切とも)氏によって築かれた。
戦国時代の天文23年(1553年)、片切氏は武田信玄の伊那侵攻に対して松尾城主小笠原信定に従って武田勢を迎え撃った。しかし、知久頼元の神之峰城が落城すると、片切氏は武田信玄に降った。
天正10年(1582年)、織田信長の長子信忠率いる織田軍が伊那に進攻し、武田勝頼に従った片切氏は、武田氏と共に滅亡した。