久能城 (くのうじょう) (久能山城)
所在地 静岡県静岡市駿河区根古屋389 2016.2.6
久能城 (くのうじょう) (久能山城)
所在地 静岡県静岡市駿河区根古屋389 2016.2.6
説明板
南側遠景
一の門
勘助井戸
楼門
久能寺 ・石垣
神廟
【遺構★★☆☆☆ 比高170m】
【案内・感想】 国道150号線(久能街道)「久能山下」交差点より北に曲がると、土産物店が並び、駐車場は有料で利用できる[マップコード25 446 706*11] 。一帯はビニールハウスが並び苺狩りの名所で、参詣観光客で賑わっている。
九十九折れの石段を登ってゆくと、「一の門」(地図)に着く。その上に博物館の郭があり、「勘助井戸」が残っている。社務所の南にも井戸がある。
社務所で拝観券(500円)を求めて、楼門を潜って行くと、本丸跡に久能山東照宮(表記番地)社殿が建っている。参拝を済ませ社殿の北に行くと、標高171mの境内最高所に神廟(家康公の墓所)がある。
【歴史】 1.久能寺
久能山縁起によれば、7世紀の頃に泰氏の久能忠仁が一寺を建て、補陀落山久能寺とし、久能山と称したと伝えられる。
その後、平安時代から鎌倉時代にかけて隆昌を極めたが、山麓の失火によりほとんどの坊等が焼失した。今川時代には相当復興した。
2.久能寺山城
永禄十一年(1568年)十二月甲斐国の武田信玄は駿河に攻め入りこの地を占領した。当山が要害の地であることを知って、寺院を清水北矢部に移し、城砦を築いて久能山城と称した。
天正十年(1582年)、武田氏の滅亡により、徳川家康の所有となった。勘助井戸、愛宕の曲輪等は当時を物語っている。
3.久能山東照宮
徳川家康は生前久能山城を駿府要害の地なりとして重要視し、かつ風光を愛でられた。元和二年(1616年)四月十七日駿府で没するとき、遺言によりこの地に埋葬され、二代将軍秀忠は壮麗な権現造りの社殿を造営した。
久能山東照宮として、明治四十一年 (1908年)8月1日、神廟、楼門等13棟が重要文化財に指定された。また平成二十二年(2010年)12月24日に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。