吉田城 (よしだじょう) (柏井城・下条城)
最寄地 愛知県春日井市下条町3丁目6‐6 2014.12.12
吉田城 (よしだじょう) (柏井城・下条城)
最寄地 愛知県春日井市下条町3丁目6‐6 2014.12.12
下条公園
吉田城趾碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 「春日井市消防署南出張所」(表記番地)の東の下条公園の南東隅に「吉田城址」の石碑が建てられている[マップコード4 537 067*81](地図)。
【歴史】 小坂吉政は山名氏に仕えたが、応仁の乱の頃に京へ出た後に織田敏定の家臣となり、奉行所として館を建てた。その後、土塁や堀を築き、吉田城と称した。
天文二十三年(1554年)の清洲攻めの際に当時の城主であった小坂久蔵正氏が清洲城の南西(深田口)で討死した。正氏には子がなく、相続されずに放置してあったのを織田信長は小坂雄吉に跡を継がせようとした。
初代城主の小坂吉政の孫の小坂吉俊の孫が小坂雄吉の生母であり、小坂久蔵正氏は小坂吉俊の息子の関係で、両家はもともと親戚であった。こうして小坂氏を継ぐことになった小坂雄吉は、吉田城と上条城の城主になった。
天正十二年(1584年)、小牧・長久手の戦いの際に羽柴秀吉が休戦と引き換えに吉田城や上条城、小牧にある諸城を取り壊すことを命じたため廃城になり、戦いは終結した。