西川城 (にしがわじょう)
所在地 愛知県豊橋市石巻西川町城山80 2017.3.26 2018.10.19
西川城 (にしがわじょう)
所在地 愛知県豊橋市石巻西川町城山80 2017.3.26 2018.10.19
大福寺・西側切岸
西側空堀・土塁
西側空堀・土塁
曲輪
北側平坦地・土塁
北西側横堀
北側土塁・切岸
北西側堀切
西川城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 豊川の支流間川左岸の比高15mほどの台地に築かれている。
北側に高さ10mくらいの切岸があり、土塁が残っている。土塁にはカタクリの群生が見られた。
北西側に櫓台のような台地があり、その西側に空堀があり、北西側の虎口付近に堀切が残っている。
北側切岸の下の道路横に以前は説明板があったようだが、2度目の訪問では見当たらなかった。
【案内】 県道499号線より東に行った、大福寺(表記番地)南側の境内に駐車できる[マップコード43 610 156*45]。
大福寺の東側に切岸があり、その上に土塁が北から南に残っている。土塁の東側に南北に細長い曲輪がある。
【歴史】 月ヶ谷城(わちがやじょう)を築いた西郷正員の子・正勝の次男西郷清員の居城として知られる。
その後、西郷清員(きよかず)は徳川方酒井忠次の配下に属し、元亀元年(1570年)六月の姉川合戦などに出陣して活躍した。
天正十八年(1590年)、西郷家員(いえかず)は家康の関東移封により、下総北生実(北生実城)に五千石を拝領して西郷を去り、西川城も廃城となった。