上ノ郷城 (かみのごうじょう) (神ノ郷城・西之郡之城・鵜殿城・宇土城)
最寄地 愛知県蒲郡市神ノ郷町森58 2014.12.8
上ノ郷城 (かみのごうじょう) (神ノ郷城・西之郡之城・鵜殿城・宇土城)
最寄地 愛知県蒲郡市神ノ郷町森58 2014.12.8
登城ルート
入口標識
虎口・土塁・城址碑
主郭下曲輪
主郭跡
上ノ郷城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道473号線「水竹町」交差点より西に約400m、右折してすぐ川沿いの細い道を300mほど行った赤日子神社(表記番地)の西に駐車場がある[マップコード51 312 493*52]。横に説明板が建てられている。
西に約60m行くと池があり、その手前より北に50m行くと入口がある(地図)。私有地のミカン畑の石垣に沿って見学通路を登って行く。
虎口土塁上に「上郷城址」の石碑があり祠がある。ミカン畑となっている曲輪が主郭南に在り、最高所に主郭があり、遠くから見られるように大きな上ノ郷城跡看板と由来説明看板が建てられている。
昭和三十二年(1957年)1月10日、蒲郡市の史跡に指定された。
【歴史】 鵜殿氏初代・鵜殿長善は、十五世紀後半に活躍し、長善・長将・長持・長照と続いた。
長将の頃には、この城を居城にし、拠点とした。一族は、下ノ郷城、不相城、柏原城に分れて住み、現在の蒲郡市のほぼ全域と幸田町の一部を勢力下に治めていた。長持は今川義元の妹を妻としていた。
永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで、鵜殿氏の主君である今川義元が討たれると、周辺の諸将が徳川家康に服属した。
しかし上ノ郷城主鵜殿長照は義元の妹の子であり、今川方に留まったため、同城は孤立した。 永禄五年(1562年)に徳川家康と松平清善らの攻撃を受けるが、堅城である上ノ郷城はなかなか落城しなかった。
そのため家康は甲賀衆を用いて城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入られ、同城は落城した。その際、鵜殿長照は討死にし、長照の子・氏長、氏次は捕らえられた。
その後は攻め手に加わっていた久松俊勝の居城となり、子の松平康元に継がれ、家康が関東に移封となると、池田輝政が有し、のちに廃城となった。