川田城 (かわだじょう)
所在地 岐阜県各務原市川島河田町1034‐1 2014.11.25
川田城 (かわだじょう)
所在地 岐阜県各務原市川島河田町1034‐1 2014.11.25
山神神社・公民館
山神
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 川島河田町公民館(表記番地)敷地の南東角に山神神社と呼ばれる石塔が建てられ、鳥居がある[マップコード28 414 054*33] 。これは城内に祭ってあった神祠といわれている(地図)。
川田城と云う名は地名から河田城(小牧・長久手の戦い時に羽柴秀吉が築城した城と同一名)と言われていた可能性も否定できない。
【歴史】 康正年間(1455~57年)に、尾張国葉栗郡河田村(当時の地名は尾張国河野郷河田村。現愛知県一宮市及び岐阜県各務原市)を支配していた土豪・川島入道川田雅楽助が築城した。城といっても広大な屋敷だったと思われる。
川島入道川田雅楽助は土岐氏に仕え、数々の戦いに参加した。その一方、支配下の農民には養蚕や麦の裏作を奨励し、城内で市を開き、有力者との話し合いの場を設ける等、農業の普及に力を入れていたといわれている。
廃城時期は不明。川島入道川田雅楽助も文献としては尾張志にわずかに登場するのみで、生没年も不明である。