山中城 (やまなかじょう) (国の史跡・日本100名城40)
所在地 静岡県三島市山中新田 2012.10.26 2016.3.26
山中城 (やまなかじょう) (国の史跡・日本100名城40)
所在地 静岡県三島市山中新田 2012.10.26 2016.3.26
登城ルート
三の丸堀
西の丸跡
畝堀
西の丸西の障子堀
二の丸・土塁
本丸畝堀
本丸跡
北の丸空堀・天守台
北の丸
岱崎出丸・一の堀(畝堀)
山中城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 国道1号線の箱根峠より三島方面に向かい6㎞ほど下った国道横に山中城跡駐車場がある[マップコード50 269 080*83](地図)。
北に行った三の丸堀の東を進み田尻の池、井戸付近の先に空堀、土塁を巡らせた西の丸跡がある(地図)。駿河湾や富士を望み、見晴らしは良好である。
その一段高い西側が物見台で、その西が西櫓のあった曲輪である。西の丸の西側には障子堀を挟んで「西櫓」がある。西櫓周囲には畝堀が復元され、障子堀と共に見所の一つとなっている。
西の丸の東に「元西櫓」、二の丸、畝堀に架かる橋の先に本丸、天守台があり、北に橋を架けられた空堀、北の丸がある。
本丸の南に一段下がった曲輪の兵糧庫跡、弾薬庫跡がある。
下りて国道沿いに歩くと三の丸跡地に宗閑寺が建てられ、戦死した豊臣方・北条方の武将の墓がある。
また国道を挟んで「御馬場曲輪」、「岱崎出丸」(地図)、「すりばち曲輪」と並び西側に「一の堀」(畝堀)が復元されている。4年前に訪れた時に比べ、各所に復元工事が施されていた。
昭和九年(1934年)1月9日、国の史跡に指定され、昭和五十四年(1979年)3月20日、天正17年(1589)頃の増築時のものと思われる郭・土塁・堀などの遺構が確認され、これらを追加指定した。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(40番)に選定された。
【歴史】 小田原に本城を持つ北条氏が永禄年間(1558~1570年)小田原防衛の西の拠点として築城した。
やがて天正十七年(1589年)豊臣秀吉の小田原征伐に備え急拠、西の丸や出丸等の増築が行われ、天正十八年(1590年)三月豊臣軍に包囲され、約17倍の兵力で、わずか半日で落城した。
このときの北条方の守将松田康長・副将間宮康俊の墓が三の丸跡の宗閑寺境内にある。