名子城 (なごじょう)
所在地 長野県下伊那郡松川町元大島5230-9 2016.1.10
名子城 (なごじょう)
所在地 長野県下伊那郡松川町元大島5230-9 2016.1.10
登城ルート
二の郭・老人福祉センター
主郭切岸
空堀
主郭・城跡標柱・土塁
主郭・四阿
主郭・説明板
名子城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道59号線「名子」交差点より西に200mほど行き左折して行った「老人福祉センター」(表記番地)駐車場が用意されている[マップコード143 348 588*68] 。
その敷地が2郭跡であり、橋の架けられた空堀の東に主郭がある。
主郭には土塁が残り、神社、城跡標柱、説明板が建てられている。北に一段下がって帯郭が構えられ、主郭を防御している。東の鳥居から、麓へ遊歩道がついている。
昭和四十七年(1972年)11月3日、松川町の史跡に指定された。
【歴史】 名子城について、史料は少なく、築城者・存続期間等確かなことは判っていない。
『尊卑文脈系図』によれば、南信濃源氏の片切氏の分流が名子郷に分知し、名子氏を称した。鎌倉時代の名子氏は、春近領内名子郷の地頭代として郷民を支配した。
仁治二年(1241年)、鎌倉幕府は名子氏(名子又太郎)が、先の承久の乱における恩賞に洩れていたのを追賞したが、このときの様子が『吾妻鏡』に記されている。
名子城は、鎌倉時代から室町時代を通じ名子郷を実質的に支配した名子氏が、日常の住まい(名子氏館跡)より一段高い要害の地に城砦を築いて、非常の場合に備えたものと考えられる。『松川町教育委員会説明板』より。