蓮台寺城 (れんだいじじょう)
最寄地 石川県小松市蓮代寺町ケ2−2 2017.8.4
蓮台寺城 (れんだいじじょう)
最寄地 石川県小松市蓮代寺町ケ2−2 2017.8.4
登城ルート
道の駅向いの案内標識
遊歩道と堀切
堀切
空堀・土橋
主郭
穴倉
穴倉説明板
北東側斜面
蓮台寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 西方に木場潟を望む標高約53mの山頂にあり、深い堀切と大きな穴倉が残っている。
【案内】 「道の駅こまつ木場潟」(表記番地)を利用できる[マップコード120 445 088*56] 。
国道8号線西側の細い道を歩いて、国道8号線下のトンネルを潜った先に登り口がある(地図)。
竹林の中の沢の左を登ってゆくと東側尾根と切断する空堀がある。その北側頂上に主郭があり、大正末期に掘られた大穴(氷室・貯蔵庫)が残っている。
【歴史】 加賀国守護の富樫政親と、弟幸千代の家督相続の争いの際、幸千代が拠点とした。富樫幸千代は浄土真宗高田派に同心していた。
一向宗 (本願寺派)の援助を受けた高尾城主・政親は、文明六年(1474年)に蓮台寺城を攻め、幸千代を滅ぼした。
政親は守護職を回復したが、一向宗は年貢を滞納するなど、政親を無視し始めたため、両者は不和となって行った。その後、長享二年(1488年)高尾城は一向宗に攻められ、政親は自害に追い込まれた。
冨樫氏滅亡後、南加賀一向衆の拠点になる大聖寺城の支城になり、南加賀一向衆が初めて軍事行動を起こした地と言われている。